数日前からあんスタの音ゲーを始めまして。
友人に勧められ、沼への警戒心を持ちつつDLしたら、これがなかなか楽しいんですよ。
今のところ、蓮巳敬人くんを使って進めています。
顔の良い男たちが歌って踊る姿に、推しグループの面影が重なるのですが、既視感と共に強烈な驚きもあって、それを忘れないうちに書き留めておこうと思います。
先に申し上げておくと、私はこれまでこの手のソシャゲをやったことがなく、ニワカもニワカな状態でして、もしかすると語る資格すらないのかもしれません。
しかし、この楽しい違和感をどうしても言葉に起こしたく、キーボードをたたいています。
おどろきひとつめ
ライブの成功が、私の音ゲースキルによって左右される。
「えーーーーーーーーーー!!!」てなりましたよ。画面の中で、彼らはこんなに一生懸命なのに…?私のタップ技術が拙いばかりに…?!せ、責任~~~~~~!!!!(滝汗)
初心者なりに説明すると、そもそもあんスタとはアイドルを育成するゲームで、プレイヤーはアイドルのプロデューサーという立ち位置で登場するんですね。
彼らを育てるために、ライブという名の音ゲーがあったり、それの成功などに応じて得られる報酬によってスキルアップしたり、レベルを上げたりしながら、魅力的なアイドルを育てていくんですよ。
この世界において、プロデューサーの音ゲー技術とは、野球の監督の指示のようなものなのかもしれません。
適切な指示が得られなかった選手(アイドル)たちを思うと、確かにその試合(ライブ)は上手くいかないでしょう。
これを思うと、推しグループのライブ参戦は、なんと気楽だったことか。
ライブ前のドキドキや、一生懸命コールして盛り上げよう!と張り切る気持ちを抱きこそすれ、成功するかどうか、自分に直接責任があると思ったことはなかった…。
むしろ、プロに対して客がそのように思うことは、ファンのおごりですらある。
ファンとは基本的に受け身な存在である。そしてこのゲームにおいて、私はそもそもプロデューサーである。たとえ、キャラクターのビジュアルに惹かれて門をたたくという構造が同じだったとしても。
おどろきふたつめ
ライブの背景がアイドルのパフォーマンス映像である。
私がライブの成功如何を肩に背負って音ゲーをしている画面は、まさにアイドルたちがライブをしているところなんですよ。
ニワカが見ても心惹かれるくらい、楽し気な曲で素敵なダンスを踊り、歌っているわけです。
しかしそれを眺める余裕はない。タップするのに必死だから。
私のコンボにかかっているから。
いや、見なくていいの???ノーツ眺めてる場合か???
と思ってダンスを見ると、タップをミスる。そらそうだ。
(なお、曲をクリアすると「MVが解放されました」みたいな表示が出るから、どこかではじっくり見られそうな予感があります。あとで調べます。)
そう言えば推しグループの動画って、いつもしっかり見てしまうから、ほぼ必ず作業の手を止めてしまうんですよね。
このことについて、ぼんやりとは自覚していたけれど、この度改めて意識することとなりました。
推しのダンス動画を背景に、何か別の事をするってほとんどしたことなかったや。
おどろきみっつめ
アイドルを育てることが出来る。
いや、序盤の説明で書いたでしょう?自分で書いたでしょう?わかってたでしょう?
そうは思うのですが、やればやるほどこのことを意識せざるを得ないんですよ。
キャラクターを選び、仕事をクリアし、レベルを上げ、より良いパフォーマンスが出来るように、私が選んで積み上げていくんですよ。
私の選択の連続が、彼らを一人前のアイドルにしていく。
プロデューサーになるということは、その過程に直接携わることなんだと。
一方、推しグループを応援する際には、私たちは結果から過程を想像するんですよね。
前のライブよりもダンスが、歌が、トークが、格段に上手くなっていると感じる瞬間がいくつもあって、そこに推したちのたゆまぬ努力の跡を見て、胸を熱くするわけです。
特に私の推しグループは、本来的な意味でのオフショットが流出しないので、ステージパフォーマンスの比重が大きいように思います。
彼らは花じゃなくて花火なんですよ。私たちは生き物係ではなく、観覧客なんですよ。
みんなで水やりをし、日に当て、育っていく過程そのものを見守るのではなく、打ちあがった花火の美しさや迫力に心奪われながら、花火職人や会場スタッフの尽力に思いを馳せるんですよ。
(もちろん、推しグループがファンへの感謝を伝えてくれる言葉に嘘はないと思っています。しかし、それはそれなので、あえて分けて考えます。)
このベクトルの向きの違いに気付いたとき、今関心を抱いている二つのコンテンツは根本的に違うのだと理解したのでした。
つまるところ、推しグループは私にとって“見るよろこび”を与えてくれる人たちだったのだなと気付きました。
そこには、所作の一つ一つやフォーメーションの多彩さを一心に味わう時間があった。
私が彼らから得ていたものは美的体験だったのだ。
推しグループを“アイドル”という枠組みで語るべきかどうかは議論の余地があるところですが、今回あんスタと出会ったことによって、アイドル(ないしステージで歌やダンスを披露する人たち)を見るときの新しい物差しが得られて、それがとても興味深かったです。
別の機会に、あんスタのありがたポイントも書きたいと思います。推しグループの話もしたいと思います。